2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

土佐坊昌俊邸址(小町)

日蓮上人辻説法址の道をまっすぐ鶴岡八幡宮方面に小町大路を進み、宝戒寺の手前左にこの石碑がある。 義経を許さなかった頼朝が義経を追討を決意し、討伐の任命を多くのものは辞退したが、進んで引き受けたとされる土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)がこ…

若宮大路幕府旧跡(小町)

宇津宮稲荷から小道を八幡宮の方向に300メートルほど進むと、「若宮大路幕府跡」の石碑がある。 若宮大路幕府は親王屋敷とも呼ばれ、4代将軍藤原頼経の1236年から9代将軍守邦(もりくに)親王の1333年の幕府滅亡まで政治が行われた所。 しかし…

宇津宮辻子幕府旧跡(小町)

二の鳥居から八幡宮の方に300メートルほど進み、右の鎌倉彫会館脇の小道を進むと宇津宮稲荷がありその隣に石碑がある。 尼将軍政子が亡くなった時、藤原頼経(よりつね)が1226年から1236年まで征治を行った所で古瀬戸や常滑焼の壺の破片などが多…

東御門(雪ノ下)

東御門(ひがしみかど)は大蔵幕府の東の門のあった所とされる。 この石碑は雪ノ下にあるが、二階堂との堺に近いところにある。 この北にやぐらがあり、たくさんの五輪塔があった、 それらを整理して一か所に集めたのが東御門やぐらであるが、 現在は民家の…

西御門(雪ノ下)

鶴岡八幡宮の東にある横浜国立大学の付属小学校の東脇にこの石碑がある。 西御門(にしみかど)は地名にもなっているが、この石碑は雪ノ下というところにある。西御門という住所はこの少し北にある。 大蔵幕府の西の門があった所。