2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

庚申塔(大船)

多聞院と熊野神社の直ぐ前にいくつかの庚申塔がある。 鎌倉市内にはたくさんの庚申塔がある、これもその一つ。 市内の庚申塔は三猿(言わザル、聞かザル、見ザル)が多いが、ここでは左の3基の下部に見られる。

熊野神社(大船)

多聞院の直ぐ手前にあるのが、熊野神社。熊野神社は鎌倉にもいくつかあるその一つ。この写真は石の鳥居を二つくぐり抜けてその先にある石段の手前から撮ったもの。祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、明治の神仏分離以前は隣接する多聞院が管理した。

多聞院(大船)

常楽寺から東方向に真っすぐ進み「常楽寺」の信号を超えてさらに東に進みT字路を左にとり、さらに今泉方面(東方向)に道なりに進み信号から約300〜400mあたりにあるのが、真言宗の天衛山福寿寺多聞院(てんえいざん ふくじゅじ たもんいん)。本尊…

青梅聖天(雪ノ下)

巨福呂坂切通しの脇にある通称「大聖歓喜天(たいしょうかんぎてん)」と呼ばれる、青梅聖天。 石段は70段あるという。峠を越える人の安全を願ったものらしい。 上には歓喜天の社殿以外に稲荷社もある。 鳥居の左には青梅聖天社の案内板がある。

巨福呂坂(雪ノ下)

鶴岡八幡宮の左の道を少し進むと八幡宮内に自動車お祓い所がある。その直ぐ前、左側に細い道があるが、それが史跡巨福呂坂(こぶくろざか)切通しだ、鎌倉七切通しの一つ。 現在は八幡宮の脇を北鎌倉方面に大きな道ができたのでこの先は通る人もいないし、廃…

阿弥陀三尊像(常楽寺)

常楽寺の本尊である阿弥陀三尊(あみださんぞん)像。 北条泰時(やすとき)の阿弥陀信仰を反映したものだ。 正面の上部にある『円鑑』の額は無学祖元(むがくそげん)の筆といわれる。

墓碑(常楽寺)

常楽寺の裏に回ると3基のお墓がある。その前にこの説明の石がある。 中央が常楽寺を再興した竜淵(りゅうえん)和尚の墓。右が常楽寺開基の北条泰時の墓。左にあるのが建長寺13世で南浦紹明(なんぼじょうみん)とも呼ばれた、大応国師(だいおうこくし)…

常楽寺(大船)

北鎌倉方面から小袋谷(こぶくらや)の信号を右に曲がり、横須賀線の踏切を越え横浜方面に向かう鎌倉道をさらに進むと常楽寺の信号がある、そこを左に曲がり約100m大船駅方面に進み、右手奥にあるのが常楽寺(じょうらくじ)。山号を粟船山(ぞくせんさ…

西念寺(岩瀬)

大長寺から南方向にそのまま約500m進むと右に広場がありその左手に保育園がある。その隣りの奥にあるのが保育園を併設する西念寺。山号は岩瀬山、浄土宗。

大長寺(岩瀬)

鎌倉女子大学前から南へ約400mさらに東(左)に小道を進むとあるのが大長寺(だいちょうじ)、山号は亀鏡山(ききょうざん)、浄土宗。 徳川家康が駕篭に乗って上った石段がある。 初めは大頂寺と書かれたが、家康が「山号が亀鏡山なら僧は大長寿だろう。…

熊野神社(手広)

青蓮寺(別称鎖大師)を左に見ながらその前を真っすぐ進み突き当たりにあるのが、熊野神社。 かつては青蓮寺の支院である宝積院(ほうしゃくいん)が管理していた、神仏一緒でした。

カラスウリの花

カラスウリの花は夕方から咲き始めるので昼間は見られない。 夜の闇の中でまるでレースのような白い独特の花が咲く。 暗闇に咲くチョッピリ幻想的な雰囲気だ。

鎖大師(手広)

手広交差点から西鎌倉(南)方向へ600mほど行くと道が上りになる。 右手に通称 鎖大師と呼ばれる、仁王院青蓮寺(におういんしょうれんじ)がある。 真言宗で山号は飯盛山(はんじょうざん)、開山は空海(弘法大師)。

かまくら湧水 「福泉」(今泉)

信号「今泉小学校入口」を過ぎて直ぐ先の左手にバス停「福泉(ふくせん)」の直ぐそばにあるのが、この泉。 右の小さな石に「かまくら湧水 福泉」と書かれている。 この水は今でも飲めるので災害時用として大切にされている。

ピンクのノーゼンカズラ

ノーゼンカズラは普通オレンジ色だが、これはピンク色。 どこに行ってもオレンジのは見かけるので、このようなピンクはなかなかいい眺めでもある。 ピンク・ノーゼンカズラ、正式にはポドラネア・リカソリアナという。

歌の橋(二階堂)

関取場跡を過ぎてさらに200mほど進むと小さな橋があります。 鎌倉十橋の一つで直ぐそばに石碑が立っています。 渋川形部六郎兼守(しぶかわぎょうぶろくろうかねもり)が謀反の罪で死刑にされそうになったとき、和歌十首に自分の無実を荏柄天神に訴えた。…

関取場跡(雪ノ下)

お地蔵様から岐れ道に戻り、右手の広い道を少し進むと左に「関取場跡」の石碑がある。 戦国時代、小田原城主の北条氏康(うじやす)が関所をもうけ、ここを通る商人やお参りの人から、関銭(交通税)をとり、荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)の社殿を造る費…

お地蔵様(雪ノ下)

二階堂の岐れ道(わかれみち)は左に進むと正面に鎌倉宮(またの名は大塔宮-だいとうのみや)に行くが約40mほど進むと右手にお地蔵様が見える。 昔ここは青黒い水が流れる恐ろしい川でたくさんの人が流された、また由比の長者(染谷太郎太夫時忠-そめやた…

筋替橋(雪ノ下)

筋替橋(すじかえばし)の石碑。 筋違橋とも書く、また石碑の最後の2行に渡り書かれているように「須地賀江橋」と書かれた書もある。 鶴岡八幡宮の前を右に真っすぐ進むと突き当たりに宝戒寺がある、宝戒寺から左(北方向)に約100M、また突き当たった…

源実朝の歌碑(御成町)

鎌倉市役所の前を少し進むとトンネルがある。その右手前に鎌倉商工会議所があり、建物の中に入らなくて、建物の左手奥に歌碑が見える。 近づいて見ると、源実朝の歌、 『箱根路をわが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に波のよる見ゆ』と刻まれている。

主馬盛久頸座の石碑(長谷)

前日の頸座の左端の石碑を大写しにしたもの。 その逸話が書かれているのが読み取れるでしょうか? 清水寺で捕らえられ許されたことが記されている。

主馬盛久頸座(長谷)

吉屋信子記念館から南の広い道路に出て長谷駅の方向に約80m歩くと右手に大木があり、その影に五輪塔や石碑が見える。 これが主馬盛久頸座(しゅめもりひさ くびざ)。 平家の重臣であった主馬盛久は平家の滅びたあと、京都清水寺で北条時政に捕らえられ鎌…

吉屋信子記念館(長谷)

鎌倉文学館の手前を右に曲がると吉屋信子記念館。 吉屋信子が晩年を過ごした居宅。 木造で和風の庭といった静かなたたずまい。 普段は信子の遺志に従い、女性を対象とした文化教養活動の場として使用されている。 5月と11月の上旬に3日間ほど一般公開さ…

鎌倉文学館(長谷)

江ノ電の由比ヶ浜駅から西方向に100mほど進むと文学館入口の信号がある。 広い通りを渡りそのまま北方向に進むと鎌倉文学館に行く。 加賀百万石の前田家第十五代の利嗣の設けた鎌倉別邸であった。 当初は和風茅葺であったが、現在の洋風の建物は第十六代…

銭洗弁天(扇ケ谷)

鎌倉駅から北西方向、源氏山を目指して進むと源氏山の手前に鳥居の在るトンネル在りくぐり抜けると、別天地が現れる。鎌倉で非常に有名な神社の一つで、無数の鳥居とともに銭洗弁天の境内に出る、銭洗弁財天宇賀福神社(うがふくじんじゃ)が正式名らしい。 …

銭洗弁財天への道

蓮華寺跡の石碑から佐助稲荷方面に向かう途中にあるのがこの道しるべ。「銭洗弁財天の道」ここから真っすぐ北方向に向かうと銭洗弁財天、通称銭洗弁天と言われる。 この道しるべは昔からあったものか、最近観光客のために作られたものかは知らない。

蓮華寺跡の石碑

鎌倉駅西口を真っすぐ進みトンネルを越えてさらに進むと法務局前あたりの歩道の脇にある石碑、下記のようなことが書かれている。 蓮華寺は四代執権北条経時(つねとき)が良忠上人を開山に迎え創立したと伝えられるが、後に蓮華寺は材木座に移され光明寺と改…