2009-01-01から1年間の記事一覧

染屋太郎大夫時忠邸阯(長谷)

染屋太郎時忠(そめやたろうときただ)とはどのような人であったかは調べてみると、由比長者ともいわれた信仰に厚い人であったらしい。 この石碑は江ノ電の長谷駅から海と反対方向に少し進み信号のあるところを右に進む、すなわち鎌倉方面に進むと鎌倉文学館…

三尊五祖来迎之庭(光明寺-材木座)

光明寺の中にある「三尊五祖来迎(さんそんごそらいごう)之庭」。三尊とは阿弥陀如来、観音菩薩、勢至(せいし)菩薩。 五祖とはお釈迦様から当寺の開祖までの浄土宗の五大祖師のことで、釈迦、善導、法然、鎮西、記主(良忠上人・当寺の開祖)。 浄土式枯…

光明寺(材木座)

和賀江島に近い大きなお寺、光明寺。山号は天照山(てんしょうざん)で総門の右手に関東総本山と刻まれた石柱がある。光明寺は、徳川家康が東京の芝増上寺に次ぐ浄土宗学問所として定めた。 ここの寺宝はいくつもあり、鎌倉国宝館に収められている。

瑞泉寺(二階堂)

護良親王のお墓に向かって左に進み川を渡った T 字路を右に川に沿って進みその先で道も川も分かれるところを右に進みそのまま道なりにしばらく進むと瑞泉寺の山門がある。 ここの庭園(写真)は夢想国師によってつくられた庭園を発掘復元したものである。 こ…

崑崙花

崑崙花(こんろんか)は半夏生の葉が白くなるころに写真のような花を咲かせる。 天辺の葉が白くなり、半夏生と共通するところがある。 これは葉っぱではなくガク苞とのこと。 名前の由来は天辺の白いところを崑崙山の雪にたとえたものらしい。

護良親王の墓(二階堂)

鎌倉宮(大塔宮)の前を宮に向かって右に進み、つきあたりを左に曲がり、すぐ右に曲がる。もう一度つきあたりを左に曲がり、まっすぐ進むと護良親王(もりながしんのう)の墓(首塚)がある。 周囲は木に囲まれた中を約120段の石段を登ると写真のような墓…

半夏生

半夏生(はんげしょう)は24節気の一つでこのころ植物の半夏生の葉の一部が白くなる。 半化粧とも書かれるのは、葉っぱの半分が白くなるからとも解釈される。 確かにこの季節はどこの半夏生も葉っぱの一部が白くなっていて、一番目だつ季節だ。

六角ノ井(材木座)

和賀江島の石碑からさらに逗子方面に少し進み草むらのような小道を進むと道路脇にあるのが、六角ノ井。鎌倉十井(じゅっせい)の一つ。この写真の反対側に碑がある。水の悪い鎌倉で貴重な水であったようだ。 実際には八角であるが、鎌倉分が六角、小坪(逗子…

和賀江島(材木座)-その2

潮が引いているときの和賀江島。先日とほぼ同じ場所から撮っている。江の島は霞んで見えない。 潮が引くと島でなくほぼ陸続きになる、海岸から歩いて行けそうであるが、あまりお勧めできない。 足元は丸い石がゴロゴロ転がっているだけなので足元がとても危…

和賀江島(材木座)

現存する我国最古の築港遺跡。左手に見える史跡である和賀江島(わかえじま)の石碑、遠くに霞んで見えるのが江ノ島(船舶の左)、その手前に石っころが転がっているように見えるのが和賀江島。 石碑が建っているあたりは鎌倉市と逗子市の境に近いところ。 …

由比若宮-元八幡(材木座)

由比若宮(ゆいわかみや)は元八幡(もとはちまん)として知られる。 大町四ツ角から南(海方向)に進み、横須賀線の踏み切りを超えて右手に細い道があるところを曲がるとその奥にあるのが、国の史跡でもある元鶴岡八幡宮。 源氏の守り神である京都の石清水…

日蓮聖人辻説法阯の石碑(小町)

日蓮聖人辻説法之阯と記した石碑。 前日紹介したところに建っている。 日蓮が鎌倉にきて、日々人通りの多い場所を選び、路傍に立ちその教えを広めた。その一つの場所がここであった。

日蓮上人辻説法阯(小町)

鎌倉駅東口からまっすぐ東に進み若宮大路を超え、段蔓の手前を右に入り、小町大路を左に曲がり少し進むと右手に見えるのが、日蓮上人辻説法阯。 安房(あわー今の千葉県)から鎌倉にきて松葉ガ谷(まつばがやつ)に草庵を築きここで辻説法して法華経の功徳を…

畠山重忠の屋敷跡(雪ノ下)

流鏑馬の走り抜ける道、源平池と国宝館の間の道を八幡宮に向かって右に通り抜けて境内から出たところの正面にこの石碑が見える。 平家に味方した畠山重忠(はたけやましげただ)は後、頼朝の家来となった。 頼朝の娘の病のために当時の名医丹波時長(たんば…

只管打坐(雪ノ下)

鶴岡八幡宮の右手にある県立美術館別館の手前に写真のような大きな石碑が見える。 只管打坐(しかんたざ)と書かれた石碑が正面に見え、右下には曹洞宗高祖・道元禅師顕彰碑と書かれてある。 北条時頼(ときより)の招きで鎌倉に下向した道元の没後750年…

今宮の石碑

今宮は新宮とも称する。この石碑には今宮が建てられた経緯が記されている。 この石碑は今宮の赤い鳥居を超え、境内の右手に建てられている。 この石碑は昭和4年に建てられたものなので文字もやや読みづらくなっている。

今宮(雪ノ下)

二十五坊跡の石碑のある手前右の細い道を進み左に曲がると突き当りにこの今宮(いまみや)がある。 承久の乱の後、後鳥羽、土御門、順徳の各上皇(じょうこう)が流罪になると、国中に病気、飢饉、火災等々の災いが次々に起こった。 人々はこれは上皇の「た…

二十五坊旧跡(雪ノ下)

2009−05−29で紹介した古都保存法発祥の地付近は鶴岡八幡宮に仕える供僧(ぐそう)たちが住んだ、二十五坊(院)跡。このあたりは御谷(おやつ)とも呼ばれた。 この石碑は県立近代美術館別館の前の分かれ道のあたりに建っている。 源頼朝によって二…

古都保存法発祥の地(雪ノ下)

鶴岡八幡宮の左手にある県立近代美術館別館の近くからやや細い道を北方向に進み、鶴岡八幡宮の裏手に進むと広い草地がある。 そこに写真のような案内板がある。 この鶴岡八幡宮の裏手の貴重な歴史的環境を保存しようと運動が興り「古都保存法」ができた。 国…

アカンサス(ハアザミ)

地中海地方原産のアカンサス。大きなアザミの葉っぱに似ているので別名ハアザミといわれる。 人の背丈ほどの大きさ、特徴のある植物だ。花が咲くのはこの時期だが、葉っぱは一年中茂っている。 このままでは増えないので、実生で増やすしかないらしい。

卯の花(ウツギ)

正式名は「ウツギ」。歌にある「卯の花の匂う垣根に・・」でよく知られる卯の花とはこのウツギのこと。 匂いはないので、この意味は花の香りとは別の意味だということです。 空木(ウツギ)は茎が中空なのでウツギといわれる。ウツギの種類はたくさんあり、…

円久寺(常盤)

八雲神社の右隣にあるのが常葉山円久寺(ときわさん えんきゅうじ)だ。 このあたりは常葉殿(ときわどの)と呼ばれた北条政村(まさむら)の屋敷があったので、常葉山という山号がつけられた。 この境内にはたくさんのコスモスが咲くので「コスモス寺」とも…

八雲神社(常盤)

鎌倉駅から市役所前を真直ぐ進む、この通りを市役所通りという。途中トンネルを二つ過ぎてさらに進むと右手に円久寺がある。その左に鳥居と石段が見えるその上にあるのが八雲(やぐも)神社。 昔は天王(てんのう)社と呼ばれていたらしい。 この神社は御嶽…

ムギセンノウ(麦せんのう)

ムギセンノウはヨーロッパでは麦畑の雑草とされるが、日本では園芸種として扱われる。 ムギセンノウの名前は葉の形が麦に似ているから、あるいは、麦畑に見られるからともいわれる。 ヨーロッパではこの写真のように麦と一緒に見られるのでしょう。

なんじゃもんじゃの木

一般に「なんじゃもんじゃ」と呼ばれている木。 正式には「ひとつばたご」と言う。 白い小さな花がたくさん枝先に咲き乱れる。 花は先の丸い細長い花弁が4枚ある。

別願寺(大町)

安養院に向かって左に約100mほど下馬方向に進む、安養院と同じ右手に山門もなく、目立たないお寺がある。 今は小さいが足利家が代々深く信仰したのが別願寺(べつがんじ)だ。宗派は時宗。 一歩入ると目につくのが国の重文であるこの宝筐印塔(ほうきょうい…

安養院(大町)

下馬の交差点から海に向かって左に曲がり、安国論寺方面に進み、安国論寺までの中間あたりの左手にあるのが、浄土宗の祇園山長楽寺安養院(ぎおんざんちょうらくじあんよういん)、一般には安養院といわれる。 ここは、ツツジで有名ではあるが、今回訪れた時…

青大将と赤い靴

かなり大きな青大将が木に登って行きました。 誰が置いたか、赤い靴が木の枝にあります。 長さは2メートルもないかもしれませんが、1.5メートル以上はあるでしょう。

鯉のぼり

鎌倉中央公園の池の上で泳ぐ鯉のぼり。 もちろん池の中では本物の鯉が亀と一緒に泳いでいる。 このGWの季節は子供連れで賑わっている。

玉泉寺(玉縄)

子育て地蔵から戻り消防署の前のバス道路を横切り、そのまま進むと右手にあるのが、真言宗の聖天山歓喜院玉泉寺(しょうてんざん・かんぎいん・ぎょくせんじ)だ。 フラワーセンターの駐車場の少し手前になる。 山門などはない、奥に入ると弘法大師の像が建…