2010-01-01から1年間の記事一覧
日蓮上人辻説法址の道をまっすぐ鶴岡八幡宮方面に小町大路を進み、宝戒寺の手前左にこの石碑がある。 義経を許さなかった頼朝が義経を追討を決意し、討伐の任命を多くのものは辞退したが、進んで引き受けたとされる土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)がこ…
宇津宮稲荷から小道を八幡宮の方向に300メートルほど進むと、「若宮大路幕府跡」の石碑がある。 若宮大路幕府は親王屋敷とも呼ばれ、4代将軍藤原頼経の1236年から9代将軍守邦(もりくに)親王の1333年の幕府滅亡まで政治が行われた所。 しかし…
二の鳥居から八幡宮の方に300メートルほど進み、右の鎌倉彫会館脇の小道を進むと宇津宮稲荷がありその隣に石碑がある。 尼将軍政子が亡くなった時、藤原頼経(よりつね)が1226年から1236年まで征治を行った所で古瀬戸や常滑焼の壺の破片などが多…
東御門(ひがしみかど)は大蔵幕府の東の門のあった所とされる。 この石碑は雪ノ下にあるが、二階堂との堺に近いところにある。 この北にやぐらがあり、たくさんの五輪塔があった、 それらを整理して一か所に集めたのが東御門やぐらであるが、 現在は民家の…
鶴岡八幡宮の東にある横浜国立大学の付属小学校の東脇にこの石碑がある。 西御門(にしみかど)は地名にもなっているが、この石碑は雪ノ下というところにある。西御門という住所はこの少し北にある。 大蔵幕府の西の門があった所。
鶴岡八幡宮の境内を抜け東側の清泉小学校のあたりが大倉(蔵)幕府の中心地であったといわれる。 源頼朝が1180年に鎌倉に入って寝殿造の屋敷をつくり、ここに侍所(さむらいどころ)、公文所(くもんじょ)、問注所(もんちゅうじょ)などの役所をつくっ…
来迎寺のすぐ左手にあるのが八雲神社。 祭神は乱暴で天照大神が怒って天の岩戸に隠れたり、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したとして有名な須佐男命(スサノウノミコト)。
来迎寺の脇にこの石碑が建っている。 源頼朝の命を助けた池禅尼(いけぜんに)の姪を開山として建てたと伝えられる太平寺という尼寺がこのあたりにありました。 本尊は安房の里見義弘が鎌倉に攻め込んだ際、奪って安房に持ち去ったが、今は鎌倉に戻り、 現在…
来迎寺(らいこうじ)は西御門(にしみかど)にある横浜国大の付属校の東側をフェンスに沿って北に進み、2−300m先を右に曲がったところにある。時宗を開いた一遍上人が建てたといわれている。西御門にあったいくつかの寺で残っているのはここだけと言わ…
紅葉山(もみじやま)やぐらはほぼ宝戒寺の裏手にある。 昭和10年(1935)に発見され、「海蔵寺十六井」と全く同じものが出土されており、時代考証からも北条執権ゆかりの納骨と言われています。 この地域は鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」内にあり…
六方の井の由来はわからないが、大町の山際にある井戸で個人宅にあるため行き方は省略する。 昔から水の少ない鎌倉でも水が枯れたことがないそうだ。 大きさは縦3.6メートル、横4.5メートル。 この小さな池のような井戸は比企ケ谷(ひきがやつ)の蛇形…
北条時政邸跡と伝えられるあたり。 ここも唐糸やぐら、日月やぐらの近くにある。 この辺りは大町なのか、浄明寺なのか正確な位置は地図に示されていないのでよくわからない。
唐糸(からいと)やぐらは釈迦堂口切通しの上を横切るように通る山道にそってある。 近くに建っている説明によると: 木曽義仲(きそ よしなか)の家来の娘唐糸は、ひそかに頼朝の様子を探るため仕えていましたが、頼朝が家臣と義仲を討つ相談をしているのを…
日月(じつげつ)やぐらは唐糸やぐら等と同じように釈迦堂口切通しのすぐ上にあるやぐらだ。 画面には日を思わせる丸い穴がありその左の壁には三日月を思わせる穴があるので、日月やぐらと呼ばれる。
釈迦堂口切通しが崩落しました。 昨年4月4日ここで撮った写真は公開していますが、それと比べてみてください。 この洞門は鎌倉の景色として独特の雰囲気を持ったところです。 私の好きな鎌倉の景色の一つでありましたが、残念です。
名越(なごえ)の切り通しは逗子と鎌倉の境に近いトンネルのあたりにある、鎌倉七切り通しの一つだ。 当時鎌倉は前は海、ほかの三方は山に囲まれたところで防衛上非常に適した地形を利用した。 鎌倉に入るには、人一人しか通れない狭い道、さらに置き石など…
ゴールデンウィークもいよいよ終わりに近づいた。 この時期に咲くハンカチの木。 白いハンカチに見えるかどうかは見る人によるのでしょう。 花の咲いていないときはただの木にしか見えない。
白花タンポポは聞いたことはあったが、見たのは初めてだ。 綿帽子の左に確かに白い花のタンポポが咲いている。
アフリカ喜望峰のヒルムシロ。 日本にあるヒルムシロとは全く違うようだ。 アフリカ喜望峰に見られるのだろうか? ほとんど聞いたことのない植物の一つだ。
鶴岡八幡宮の大銀杏を確認した後、帰り道たまたま通りかかった大仏(おさらぎ)次郎茶亭が公開中だった。 ここは春と秋の数日しか公開されない。ラッキーだったのでその雰囲気だけでもと写真におさめた。
先月突然倒れた大銀杏に芽が出てきたとのニュース。 私も確認してきました。確かにヒコバエが見られます。これは間違いなく成長するでしょう。また、倒れた根っこからも細い枝に芽が出てきていました。 でも、これは根付いたとまではいえないと思う。 まだ枯…
鶴岡八幡宮の大銀杏が今月10日強風のため倒れたことはニュースでご存知の通り。 このイチョウを再生しようと種々の方法が試みられることになった。 倒れたイチョウの根っこを左に移植、右には元の木の根の一部が残っているため、ヒコバエが芽を出すことを…
子守(こもり)神社は別名蔵王社(ざおうしゃ)とも呼ばれ、常盤山文庫の近くにある神社だ。 かつては蔵王権現社と呼ばれていたが、子守神社とした。 本社は奈良県吉野の水分(みくまり)神社だそうだ。
市役所通りをまっすぐ進み八雲神社の信号を左に少し進み右に入り細い道を進むと三貴園の表示がある。 もう閉鎖されているのだが案内だけはわずかに残っている。 「国宝 一観音(いちかんのん)」と書かれた石碑が建っている。 現在は「常盤山文庫」も「自然…
北条氏常盤邸跡は、鎌倉幕府の第7代執権・北条政村を始めとする、北条一族の有力者の別邸があった場所だ。「タチンダイ」というこの平場付近の地名は、中世居館と関わりがあることを示している。 この平場は細長いV字型の谷を造成したもので東西北を人工的…
西鎌倉小学校のすぐ北、鎖大師に向かう広い道の右に非常に狭い道がある。 そこを入って間もなく左手に立ち入り禁止の札がある。そこにこの切通しがある。立ち入り禁止の柵の手前から撮ったのがこの写真。 かつてはこのような道が鎌倉の周囲に存在し、外部か…
荏柄天神社の中にある筆供養のための「絵筆塚」。 ここで毎年筆供養が行われている。
荏柄天神社にお神輿が置かれていた。 よく見える状態だったのでその姿を写した。金箔と赤い紐の非常にきれいな色彩だ。 このようなものは普段は見ることができない。 訪れた時期がよかったのでしょう。
岐れ道から鎌倉宮に向かうお宮通りの途中を左に向かう道が斜めに走っている。 その先に荏柄天神社がある。 鎌倉宮に向かう道と荏柄天神社に向かう参道が斜めに交差した道路だ。 荏柄天神社の祭神はもちろん菅原道真だ。
鎌倉宮の境内に「撫で身代わり」の村上社がある、その由来は、 村上義光(よしてる)公は護良親王の忠臣で吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた親王は別れの酒宴をされた。 その時、村上義光公は親王の御鎧を脱ぎいただきそれを身に付けた村上公は、 …