2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

大蔵幕府旧跡(雪ノ下)

鶴岡八幡宮の境内を抜け東側の清泉小学校のあたりが大倉(蔵)幕府の中心地であったといわれる。 源頼朝が1180年に鎌倉に入って寝殿造の屋敷をつくり、ここに侍所(さむらいどころ)、公文所(くもんじょ)、問注所(もんちゅうじょ)などの役所をつくっ…

八雲神社(西御門)

来迎寺のすぐ左手にあるのが八雲神社。 祭神は乱暴で天照大神が怒って天の岩戸に隠れたり、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したとして有名な須佐男命(スサノウノミコト)。

太平寺跡(西御門)

来迎寺の脇にこの石碑が建っている。 源頼朝の命を助けた池禅尼(いけぜんに)の姪を開山として建てたと伝えられる太平寺という尼寺がこのあたりにありました。 本尊は安房の里見義弘が鎌倉に攻め込んだ際、奪って安房に持ち去ったが、今は鎌倉に戻り、 現在…

来迎寺(西御門)

来迎寺(らいこうじ)は西御門(にしみかど)にある横浜国大の付属校の東側をフェンスに沿って北に進み、2−300m先を右に曲がったところにある。時宗を開いた一遍上人が建てたといわれている。西御門にあったいくつかの寺で残っているのはここだけと言わ…

紅葉山やぐら(小町)

紅葉山(もみじやま)やぐらはほぼ宝戒寺の裏手にある。 昭和10年(1935)に発見され、「海蔵寺十六井」と全く同じものが出土されており、時代考証からも北条執権ゆかりの納骨と言われています。 この地域は鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」内にあり…

六方の井(大町)

六方の井の由来はわからないが、大町の山際にある井戸で個人宅にあるため行き方は省略する。 昔から水の少ない鎌倉でも水が枯れたことがないそうだ。 大きさは縦3.6メートル、横4.5メートル。 この小さな池のような井戸は比企ケ谷(ひきがやつ)の蛇形…